ラ・イ・ブな授業!

授業準備・教材研究のヒントとなる情報を掲載します!

仕事のつぶやき⑥

みなさんこんにちは!

 

「角を矯めて牛を殺す」

 

という言葉をご存知でしょうか。

 

明鏡国語辞典によると、

「わずかな欠点を直そうとして、

かえって全体をだめにしてしまうたとえ。」

 

とあります。

 

「矯める」は「歯並びを矯正する」などの「矯正(きょうせい)」

に使われる感じで、「ためる」とよみます。

 

「矯める」の意味は、

曲がっているものをまっすぐにしたり、

まっすぐなものを曲げたりすることや、

悪い性質や癖などを直すこと、

というものです。

 

今、受験の追い込み時期にきて、

仕事が多忙になってきています。

 

スタッフの余裕がなくなることで、

生徒との、もしくは、スタッフ同士の

軋轢(あつれき)(=いざこざ)が

生れやすくなっています。

 

そんなときのアドバイスの仕方や、

声のかけ方って、本当に難しいですね。

 

自分がかけてもらいたい言葉が、

必ずしも相手に響くとは限らない。

 

言葉は万能ではない。

でも、想いは言葉にしなければ

伝わらないことも多い。

 

表情。声色。まなざし。

 

全てに心を込めて、

思いの丈を伝える。

 

時間もかかるかもしれない。

 

思い過ごしかもしれない。

 

様々なことを考えて、

丁寧に人と接する。

 

これは、様々な場面で

必要とされるスキルであり、

 

答を探し続けていくべきテーマであると思う。

 

 

仕事のつぶやき⑤

みなさんこんにちは!

 準備は大事ですね。

 

If I had eight hours to chop down a tree, I would spend six of them sharpening the axe.

(もし、木を切るのに8時間あったら、私はそのうちの6時間を斧を研ぐのに使うだろう。)

 

アメリカ合衆国第16代大統領リンカーンの言葉です。

 

多忙さを言い訳にしてはなりませんが、

最近、

たいした授業準備ができず、

 

既存の知識と経験値で乗り切る授業をしたことを

情けなく思います。

 

授業の中身が、

授業準備の深さに比例するなら、

 

生徒が考える深さや、

その深さを要求する

我々の言葉のエネルギーも、

 

授業準備の深さに比例するのでしょう。

 

準備は自信。

 

胸を張って生徒の前に立つには、

力強くメッセージを発信するためには、

 

やはり、授業準備に時間をかけることです。

 

自分の頭でたくさん考えた分だけ、

授業が面白くなることは

 

疑いようのない事実です。

 

授業が良いものになるかならないかの

8割方は準備で決まります。

 

磨きましょう。

言葉のニュアンス

みなさんこんにちは!

言葉のニュアンスをつかむ力。

語感を養うこと。

「そんなんじゃない!」

マイナスの感情、というだけでなく、

力強い語気。それを感じれば、

たとえ、選択肢に、

「あきれはてる」とあっても選ばない。

何故なら、語感が合わないから。

マイナスの感情、でも、声を荒げず、

期待をしない、そんな感情。

その照合上手くなれば、選択問題でのミスは、ぐっと減るでしょう。

 

見詰める鍋は煮えぬ

みなさんこんにちは!

外山滋比古さんも、ベストセラー「思考の整理学」の中で、

見詰める鍋は煮えぬ

という言葉を使っていらっしゃいます。

よくゆったもんです。

全くその通り。

 

教材研究は、

2度やる

 

それだけで、1度目の教材研究では気づけなかったことに、思った以上に気づけます。

 

傍目八目

とでも言いましょうか。

 

少なからず、

客観的に見える。

 

悩んでないで、

1度寝かせましょう。

 

一呼吸置く。

 

それだけで、

見えなかったものが

見えるようになります。

 

 

漢字の学習意欲を上げる

みなさんこんにちは!

 

「履修」(りしゅう)とは、

大学などで

「決められた学科や課程を修めること」

を言いますが、

なぜ履修の「り」は「履」なのでしょうか。

 

履は、「くつ」

つまり「はきもの」

だから、

「ぞうり」は「草履」

↓↓↓

「ひとつひとつ歩み進める」

つまり、

「経験すること」

だから、

「りれきしょ」は「履歴書」

 

言葉のイメージが

つながるだけで、

記憶倍増。

 

だから、

漢字は意味を大切に

勉強する。

その方が定着するし、

おもしろい。

 

 

設問対応力をつける

みなさんこんにちは!授業力向上委員会会長(現在の会員は私だけ(笑))橋本雅由と申します!みなさんの授業の中で「すぐにつかえるネタ」をお伝えしたいと思います!

本日は、「設問対応力」です。

 

いわゆる、

「聞かれたことに、正確に答える」

ということができるか否か。

 

《展開例》

小学生相手に、鳥の生態を説明した説明文を読ませたとします。

「鷹は、優れた目を持っています。」

 

この文について、二つの問を板書します。

 

① ~とは、どういうことですか。

 

② ~について、筆者はどのような

       ことだと考えていますか。

 

①については、鷹の持つ「優れた目」

についての「言い換え」を答えるので、

 

「遠くから早く、獲物を見つけることができる」

 

のような解答になりますね。

 

しかし、②については、

少し聞かれ方が変わります。

解答も変わります。

 

この設問が、

 

筆者独自の視点に踏み込むもの

 

であることに気づければ、

文章中から答えを見つけることができます。

生徒がこの設問の違いを説明するのは

簡単ではありませんが、

考える間を作り、

何とか不十分でも言わせてみることを

お勧めします。

 

そして、出なければ、

 

答えを書いてから、考えさせる

 

のも、とても良い展開です。

ただし、

説明は生徒自身にできるだけさせること

に最後までこだわることも大切です。

 

②の解答を書きます。

 

「野生の動物が生きていくうえでとても大切なこと」

 

のように。

 

そして、こう発問します。

 

「あらためて、

   この二つの質問の違いは

   何だろう?」

 

①が「語句を具体的に言い換える問題」

②が「筆者独自の考え方を答える問題」

 

このように、

「どのように聞かれているのかを、

 主体的に考えさせる時間を作ること」

は、後々の文章の読み方、そして何より、

 

設問の読み方が変わってきます。

 

そこに、おまけとして、

 

「この品が欲しいですって?優れた目をお持ちですね。」

 

のような例文を書いて、

慣用的な表現である「目が高い」などと結びつけ、

 

「物の価値を見分ける力」

 

についても、同様の表現をすることに言及し、

文脈で語彙を判断する重要性を説くこともできます。

 

教えること、考えさせること、そして、

展開によって印象付けること。

 

授業の可能性は無限です。

 

 

道徳をどう説くか

みなさんこんにちは!授業力向上委員会会長(現在の会員は私だけ(笑))橋本雅由と申します!みなさんの授業の中で「すぐにつかえるネタ」をお伝えしたいと思います!本日は、「道徳をどう説くか」です。

 

ダジャレのようですが、

というか駄洒落ではありますが、

中身は真剣です。

 

織田信成さんの、

フィギュアスケートコーチ提訴問題。

 

私は、批判というより、

強い疑問

を持ちました。

それは、

フジテレビ系ワイドショー、

「バイキング」(2019.11.20放送)

でのこの報道の扱いについて。

 

何が問題だと思ったかというと、

一言でいえば、

「織田さん自身の心の痛みが

 ないがしろにされていたと感じたこと」

です。

 

半分はバラエティー番組という位置づけ

なのでしょうから、

芸人さん(おぎやはぎの小木さん)が、

 

織田信成さんの

関西大学フィギュアスケート

監督就任について、

 

「広告塔だよ」

 

という言葉で、その立場についての

 

「大人な解釈を」

 

という内容のコメントをオブラートに包みながら

されていたと記憶しています。

 

これから本格的にシーズンに

入るタイミングでの提訴

 

に、疑問の声も上がる中、

 

ホラン千秋さんだけは、

「影響はいつでもあると思う」

というコメントをされていて、

司会である坂上忍さんの

「部下ハラスメント

(弱者は、発信することで弱者ではなくなる)」

という見方とは

少し趣の異なるコメントをされていたと思います。

 

私は、織田さんのコメントが確かならば、

「周りにいる人たちが、

 誰かしらその様子を見ているはず」

であると思います。だから、真相は

必ず明らかにできると思います。

 

織田さんの言い分に対して、

提訴されたコーチが、

真相についてご自身の意見を

きちんとおっしゃること、

そして、

実際に織田さんの言うこと

(たとえば、生徒の成績下降における、

 練習時間の削減を

 コーチが織田さんの知らないうちに勝手に

 撤回した問題など)

が確かならば、何故会議で反対したり、事前に相談

したりしなかったのか。

無視や陰口という方法が行われていたなら、

それが果たして適切な対応だったのか。

そういうところに、

番組の考えが向かう力が、流れが、

無かった。そう思うんです。

 

私は、ここに、強い疑問を持ちました。

 

権力があれば、何をやってもよいのか。

 

日大アメフト部の問題と、

今回の問題との違いは、

被害者が成人か否かという問題や、

外傷を負うか、内面に傷を負うかの問題

もし、

今回のコーチの対応が

真実であるにもかかわらず

不問となるのであれば、

 

大人と

内面に受けた傷が

ないがしろにされている

 

としか思えません。

 

愛情の反対は無関心である

 

という言葉が示唆するように、

 

大人であろうが子供であろうが、

「無視」

は立派な、そして、とても姑息な

いじめ

です。

 

十分に人を傷つけるものです。

 

人に相談できないことが

どれだけつらいことか。

 

そういうことに

想像力を働かせることができたら、

 

果たして、

織田さんに

「このシーズンにそのような提訴は残念」

だとか、

「広告塔」

だとか言えるでしょうか?

 

このように、

真剣に悩んでいる人に対して

心無いコメントで笑いが起きるような

さみしい国では、あってはいけない

 

本気でそう思いました。

 

その日の夜、少し遅れて読んだ、

読売新聞のコラム

編集手帳」には、

 

関西大学のコメントに対する

厳しい批判がなされていました。

以下、引用です。

 

「苦痛を訴える人の気持ちを思えば、

 提訴に季節は関係ない。」

 

うんうんと

大きくうなずいていた夜でした。

 

いろんなものの見方があります。

でも、生徒には、

きちんと教えなければいけません。

 

権力を持つことは、

同時に大きな責任を持つこと。

それは、

結果だけではなく、

プロセスにおいても

大切にしなければいけない考え方。

また、

その権力は、

周りの人のおかげで成り立つもの

だということ。

決して奢らず(おごらず)

感謝を忘れず。

上に立つ時こそ、

謙虚さを忘れずに。

 

まずは、私の目の前の生徒たちに、

真剣に伝えていきたい、

そう思っています。